175.渋谷のんべい横丁、鳥重で襟を正して呑む。

鳥重

 渋谷駅のスクランブル交差点を渡り、山手線の線路脇の小径へ入ると戦後の昭和を彷彿させるのんべえ横丁が在る。門前仲町の辰巳新道や京成立石の呑んべい横丁同様に古き良き昭和へとワープ出来る。
 戦後間もない頃、屋台がひしめき合っていた渋谷の街も占領軍による衛生管理強化と区画整理によって屋台の場所に縄紐で区画が区切られた。それがそのまま二階建ての店となり軒を連ねたのが「のんべえ横丁」である。殆どの店が二坪程度の間口だが、引いていた屋台の大きさがそのまま区画になった。
 約40軒近く酒場が軒を連ねるが、代替わりした店も多く、若者が集うバーなども出来た。それでも、マカン・ブッサール、鳥福など横丁が出来た昭和25年当時から続く老舗酒場もまだ元気に営業を続けている。
 この横丁で、いつでも満席なのが、焼き鳥の『鳥重』だ。一日三回転の入れ替え制で、常に一杯である。
 初めて訪れたのは、もうかれこれ30年程前になるが、小さなカウンターの中のお母さんは今も当時と変わらぬ凛とした姿勢を崩さない。それ故、客もまた襟を正してお母さんと向き合い、酒と肴を愉しむのだ。此処に来れば、どんなに有名人だって、態度のデカイ輩だって、皆大人しくお母さんの云う事を黙って聞いて良い子になってしまう。そうしないと、美味い焼き鳥が喰えないからである。
 男二人でも4串で十分だ。それ以上、頼もうものなら「後で様子をみてからにしなさいナ」と一喝されてしまう。炭火で焼かれた柔らかいモツ(レバー)は、外がこんがり、中はレア。大根おろしをたっぷりと乗せて食べれば、もう他店の鳥レバーなど忘れてしまう程に美味い。絶妙な塩具合の心臓(ハツ)もまるで天然のソーセージである。合鴨、しっぽ、砂肝、だんご(つくね)など全てが絶品だが、ひと串がのボリュームが凄いので、何度も足を運ばないと制覇出来ない。
 菊正宗の熱燗をおかわりしても、一人二千円程度なのだから、安さと美味さとお母さんの真心に虜になってしまう筈だ。皆が、帰り際に次回の予約をするのが頷けるだろう。
 来年で店を閉じると聞いている。この味と佇まい、世界遺産にして残してもらいたいものだ。

鳥重 渋谷区渋谷1-25-10 のんべい横丁
03-3407-3820

174.グツグツと沸き立つ鍋の音に誘われ、門前仲町に酔う。

大阪屋

 廻りをぐるりと川に囲まれた門前仲町は、周辺に清澄庭園深川不動堂などが在り沢山の人が訪れる。駅から十分も歩けば、越中島水上バス乗り場も有るので天気の良い日に東京水辺ラインの船旅もまた愉しい。江戸三大祭りの一つ「深川八幡まつり」で名の知れる富岡八幡宮も有名だ。日曜に催される骨董市では、掘り出し物を見つける事も多い。
 此処に奉られる恵比須神に始まり、冬木弁天堂の弁財天、深川稲荷神社の布袋尊、深川神明宮の寿老神まで森下駅までの間に深川七福神巡りも出来るので、福運祈願をしながらの半日散歩にも打ってつけだ。
 江戸情緒が随所に残る深川の中心、門前仲町の名が示す永代寺の門前に開かれた町であり、江戸時代には辰巳芸者目当てに多くの旦那衆が茶屋に集まり賑わっていた。その門前から真っ直ぐ清澄通りへと続く通りを歩くと深川公園を過ぎた辺りにそこだけ昭和にワープした様な「辰巳新道」が在る。間口九尺二軒の小さな店が三十店近く軒を連ねていて、夕暮れと共に酒を求める人たちが集まって来る路地だ。
 辰巳新道と清澄通りの間に佇む『大坂屋』は、大正時代から続く牛煮込みの酒場だ。使い込まれた白木のカウンターは、真ん中にデンと煮込み鍋が鎮座している。 
 鍋から聞こえるグツグツと沸く音が至福の時へと誘ってくれるのだ。此処の煮込みはシロ、フワ、ナンコツの三種のみ。甘過ぎず、辛過ぎず丁度良い塩梅に煮込まれて、どの酒にも合う。焼酎の梅割りが一番だが、三杯も呑めば効いて来る。
 小さな半円カウンターと壁際の席で十人も入れば一杯になってしまう小体の店だが、此処は心優しい客が多く、席を詰めてくれたり、切り上げて席を譲ってくれる。
 そんな下町の心意気に触れられるのも、煮込みの味と共にに此処の魅力である。四時開店なので、深川散歩に疲れたら大坂屋の暖簾を潜ると良い。程よく酔ってきたら、路地を曲がれば、ホラ辰巳新道呑み屋街が待っている。
仲町名物 牛にこみ大坂屋
江東区門前仲町2-9-12
03-3641-4997

173.未来都市TOKYOのど真ん中、ミルクワンタンで昭和にワープだ。

ミルクワンタン鳥藤

 有楽町駅前が再開発されイトシアとなり、東京駅周辺では巨大なツインタワー、グランドトーキョーが摩天楼の如くそびえ立つ。東京フォーラムの近くには丸の内ブリックスクエアが完成し三菱一号館が復元され、続々とこの界隈に新しい都市が誕生している。この辺りを歩いていると「未来世紀ブラジル」と言う映画を思い出し自分が時代に取り残された様に感じてしまう。
 そんな未来都市TOKYOだが、有楽町から東京駅に続くJRの高架下辺りは、昔ながらの居酒屋などが軒を連ね、ほっと出来るスポットだ。「東京駅への近道」と書かれたガード下を抜けると懐かしい昭和の景観を色濃く残した別世界となる。カタカナで「ミルクワンタン」と書かれた暖簾をくぐると誰もがほっこりと出来る空間にワープ出来るのだ。屋号は『鳥藤』だが、そう呼ぶ人は殆ど居らず、「ミルクワンタン」で通っている。カウンターに小さなテーブル席と奥に座敷もある。気さくなお母さんと話をしながら呑むならば、カウンターが良い。
 此処は酒さえ決めてしまえば、後は黙って座っていれば良い。マスターが黙々と作る料理が次々と出てくるのだから、酒も愉しく進むのだ。焼き鳥、焼き魚、季節の野菜料理、それに納豆チャーハンなどが続く。最後の〆は看板メニューのミルクワンタンだ。その名の通り、牛乳で仕込んだ和風クリームシチューにワンタンがたっぷりと入っており、躯に優しい一品だ。
 この店の不思議なところは、どれだけ呑んでも大体お勘定が一緒なのである。細かく計算をしている姿を見た事が無いが、今日はちょいと多く呑んだかなと思っても殆ど一緒なのだ。それがまた、申し訳無い程に安いのでとても懐に優しい酒場なのである。戦後すぐに始めた名店は、今も変わらず暖簾を出している。
ミルクワンタン鳥藤 千代田区丸の内3-7-9
03-3215-1939

172.真心がぎっしり詰まった「下町ッ子」の牛肉に舌鼓を打つ。

下町ッ子

 富士見台の駅を出てふじみ銀座商店街を抜けると千川通り沿いに『神戸牛 下町ッ子』の提灯が見える。今年で丸十年を迎えた牛肉の専門店は、肝っ玉母さんの様な陽気な笑顔が自慢の松澤瑛恵(てるえ)さんが一人で切り盛りしている。元々和牛一筋『松金』と云う肉屋を営んでいたが、家業をたたんだ時にご主人に十年間だけで良いからやらせてね、と無理を言って出した神戸牛の専門店だ。
 45年間の肉屋時代に培った牛肉の見立ては筋金入りだ。高見牧場から直接仕入れるA5クラスの特選神戸和牛のランプ肉は、全部瑛恵さんが一人で捌いていく。此所はステーキ肉、此所はシチュー用、残った細かい部位はハンバーグ用にと切り分けるのだ。面倒を惜しまず、手間をかけるから、とても安価で上等の肉が味わえるのだ。
 牛肉は適度に熟成させないと美味しくならない。此処では、最低三週間から五週間は冷蔵庫の中で寝かせるのだ。それ故、通い慣れたお客は、熟成具合を電話で確認してから来るのだ。熟成具合が間に合わない時は暖簾を出さない。また、小さなカウンターとテーブルがひとつだけの店内は、混んで来ると暖簾を引っ込めてしまう。「外に行列が出来ると困るし、一人で対応するのにも限界があるでしょ。だから、お客さんが帰って席が空いたら、また暖簾を出すのよ」と気さくな笑顔で話してくれる。「松金は地元でも有名な肉屋だったので、その屋号だとかつてのお客さん達が来てスグ混んじゃうでしょ。私が下町育ちだったのでこの名前にしたのよ」、話を聞いているだけでも愉しいひとときを過ごせるのだ。
 本当に美味しい牛肉を食べたくなったら、迷わず此処を訪れて欲しい。お母さんの真心がギッシリと詰まった極上のステーキが至福の時を与えてくれるから。
神戸牛ステーキ茶屋 下町ッ子 中野区上鷺宮3-10-12
03-3970-0471

171.浅草の喧噪を逃れ、簑笠庵の肴でゆったりと呑む。

簑笠庵

 浅草寺の雷門は住所では、雷門通りを挟んで台東区浅草になる。地名での雷門は駒形と寿に囲まれた一角で、浅草仲見世通り周辺の喧噪とは裏腹に実に静かな通りが多い。地下鉄田原町駅に程近い田原町小学校の辺りも夕方頃になると子供達の声も消え、静かな時を刻み出す。
 子供達が帰る頃、小学校に隣接した小さな通りに銀鼠色の暖簾が下がる。丁度今から一年前に此処に店を構えた『雷門 簑笠庵』は、実に居心地の良い酒場だ。元々人通りの少ない通りだから、この場所に酒場が出来た事を知らない方も多い事だろう。たまに通りかかる人の中には蕎麦を求めて暖簾を潜る輩も多々居るのだ。
 暖簾に染め抜かれた店の名は、“さりゅうあん”と読む。大抵は、みのかさあんと読むが、これも仕方あるまい。店主は、唐の古い詩人柳宗元の漢詩「江雪」の一節〈孤舟簑笠翁〉を引用して名付けたのだから。簑笠を着けた老人が雪の降る川で独り舟に乗り釣りをしている光景を読んだ詩だ。この詩はすべて対句で構成されているのだが、此処の主人はカウンター越しに客との禅問答でもしようと考えたのだろうか。
 否、簑笠庵は強面の顔からは想像が付かない程、満面の笑みで客を迎えてくれる居酒屋だ。酒の肴も素晴らしいが、何より旬の魚を一番美味い喰い方で料理してくれるのが嬉しい。主人と女将が二人とも酒好きだからこそ、酒に合うとびきりの品を次々と造ってくれるのだ。
 秋は露地で啼く虫の音で一献つけるも好し、冬場は奥の小上がりで囲炉裏の火を眺めながら燗酒も良い。居心地が良過ぎて時が過ぎるのを忘れてしまうほど、愉しく呑める。但し、三社祭の時だけは、人をかき分けないと辿り着けないのだ。開店一年にして老舗の風格は此処の主人の賜物だろうか。
雷門 簑笠庵 台東区雷門1-5-9 いさよビル一階
03-5830-7677

170.外神田「花ぶさ」で変わらぬ昭和の味に酔う。

cafegent2009-09-28

 池波正太郎の時代劇を読むと江戸の頃の町の風景が頭に浮かぶ。「健脚商売」を読んだ後には、無性に浅草など隅田川界隈を歩いてみたくなる。「鬼平犯科帳」にも雑司ヶ谷など登場し、訪れる度に鬼平を思い出す。また池波小説には、必ず美味そうな食事や酒が登場する。
 時代小説から池波正太郎ファンになり、次第に作家本人に興味を抱く様になってからは、片っ端からエッセイなどを読み漁った。中でも「男の作法」は社会人になりたての頃に読み、僕の密かなバイブルとなり、幾度となく読み返した。「銀座日記」では、歳をとったらこんな粋な爺ぃになりたいと思ったものだ。
 小説を書く合間に映画や芝居に出掛けていた氏が、殊の外好きだったのは「美味い物を食う」ことだったのだろう。「散歩のとき何か食べたくなって」を読んだ時は、東京にはなんて美味い物を喰わす店が多いのだろう、と思ったものだ。
神田「まつや」の蕎麦や浅草「ヨシカミ」のオムライスは、若かった僕でも気軽に通うことが出来た。目黒の蕎麦屋「一茶庵」は残念ながら店を閉じてしまったが、下足番の居た佇まいが今も懐かしい。
 人生の半世紀を迎え、漸く僕も怯むこと無くどんな店の暖簾もくぐれる歳になった。外神田の「花ぶさ」は、池波正太郎が大変気に入って通っていた料理屋だ。大女将の佐藤雅江さんは今も時折店を手伝っているが、昔話を伺いながら酒を呑むのは実に愉しいひとときだ。此処は実に丁寧な仕事ぶりで、カウンター越しに見ていてとても気持ちが良い。板場に立つお孫さんの造る名物「千代田膳」はお造りに始まり、煮物、揚げ物、西京焼などが綺麗に盛られた箱膳である。大の男でも、これだけで十分なボリュームなので、あとは酒を頼めば良い。
 改装後も昭和の風情を残しており、二階、三階の個室座敷には池波先生の書画が飾ってある。座敷を仕切る二代目女将の凛とした姿も雅江さん譲りだろう。一人ならばカウンターがお気に入りだが、是非とも上の座敷で句会など開きたいものだ。
御料理 花ぶさ 千代田区外神田6-15-5
03-3832-5387

169.九月の渋谷、「麗郷」の腸詰で故人を偲ぶ。

麗郷

 1970年代の終わり頃、毎日授業が終わると渋谷の街に繰り出していた。山手線を降りると、先ずは宇田川交番の脇を抜けてNHK裏の喫茶「ZOO」で珈琲を飲み、新しい音楽とファッションの情報、映画や本の話題等を収集した。そして、直ぐに街に探しに行くのが愉しみだった。
 当時は、百貨店の特設会場で輸入盤セールや古本市等々頻繁に開催していたし、掘り出し物も結構手に入れる事が出来たものだ。あれから三十年もの歳月が過ぎ、あの頃手に入れた物も可成り貴重な品になったが、レコードは殆ど再発化された。
 一通り渋谷の街を物色し終わると、映画を観に行くのだ。渋谷には沢山の映画館が在った。渋谷パレス座、東急文化会館の東急名画座、地階の東急レックス、道玄坂の渋谷文化などで二本立てを楽しんだ。たっぷりと暇な時間を潰したら腹が減るのだが、金が無い時は、百軒店の「喜楽」か宇田川町「金龍菜館」辺りで酒抜きの飯になるのだが、バイト代が入ると決まって道玄坂小路の「麗郷」へ行ったものだ。
 中学、高校と札幌で過ごした僕は、中華料理だって海老チリや八宝菜程度しか知らなかったし台湾料理などと言う物は、まるで未知の領域だった。
 先ずは蜆の醤油漬けを肴に生ビールから。そして、定番の腸詰めだ。香菜と一緒に食べれば何杯でもビールが呑めた。紹興酒はどんな料理にも合った。青菜炒め、白海老のボイル、豚マメ炒め、なまこの煮込みなんてのも実に美味い。
 この夏に亡くなった古い友を偲んで、好きだった此処を訪れた。恋文横丁も姿を消し、この界隈もすっかり様変わりをしたが、此処だけは当時のままの佇まいを残している。味も変わらず美味いが、マダムの変わらぬ姿を見た途端、急に泪が溢れそうになったナ。
麗郷 渋谷区道玄坂2丁目25-18
03-3461-4220