2007-12-01から1ヶ月間の記事一覧

62.冬の奈良町。お水取りを見た後は、ほっこりと蔵で熱燗を。

十二月は奈良の春日大社にて「遷幸の儀(せんこうのぎ)」なる神聖な祭りが行われた。寒さ厳しい深夜零時から真っ暗闇の中、宮司や巫女さんたちが列をなし若宮神を本殿よりお旅所の行宮(あんぐう)へと深夜お遷しする行事である。これに参列する者は懐中電灯も…

61.竹むらの粟ぜんざいで、心温かく冬を迎えることにしよう。

神田の須田町はその昔、国鉄中央本線が通る万世橋駅が有り、この辺りは連雀町と呼ばれ、人の出も多く、活気とに賑わいを見せていたそうだ。その後、昭和に入り、神田駅、秋葉原駅の開通と共に乗降客が減った事もあり、駅舎は廃止された。 この万世橋駅は「交…

60.年の瀬は「芝浜」を聴き、たねやのふくみ天秤を味わう。

年の瀬になると落語の世界も歳末の風物を描いた噺が多く掛かるようになる。「ねずみ穴」「富久」「文七元結」などお馴染みの名作揃いだが、その中でも一番人気が高く、また多くの落語家たちが演じている噺は「芝浜」だろう。 人情話の傑作であり、三代目桂三…

59.江戸東京の和食を味わうならば、迷わず神楽坂の山さきへ。

東京の和食と云えば、本来江戸から伝わる献立を原点とした料理であり、器に映える雅の世界と云うよりは、シンプルで素材の持ち味を活かす方に力を注いでいる料理なのかもしれない。 川口松太郎、久保田万太郎、山口瞳と一、二世代前の食通文士たちは銀座松屋…

58.天すけの天婦羅は庶民の味。外で待つのも心が弾むのだ。

高円寺は毎年8月に間催される「東京高円寺阿波おどり」が有名で、その時ばかりは溢れるほどの見物客が集まってくる。踊り手も一歳の赤児から八十過ぎの翁まで年齢層も幅広く、高円寺のみならず、様々な地域から参加している。本場徳島を凌ぐ阿波おどりは東…

57.冬の京都、三十三間堂を参拝し、赤尾屋の扇舞漬で一献。

江戸時代、各藩の弓術家が「三十三間堂」の軒下で矢を射る「通し矢」なる催しがあった。今でもこの習わしが伝承され毎年、成人の日になると新成人が振り袖、袴姿で本堂の射場にて矢を射る「通し矢」が行われている。 三十三間堂は後白河上皇が創建した仏堂で…

56.ローブリューの豚肉料理で今年もガツンと締めくくりたい。

以前、フランスに遊びに行った時に列車に乗ってパリからスペインまで出掛けた事がある。その車中、口の悪いフランス人が「ピレネー山脈を越えたら、ありゃもうアフリカの風が吹いているんだぜ。」なんて云っていたのを思い出した。そのフランスとスペインに…

55. さくらいのエビサンド片手に落語を愉しむ。贅沢の極みなり。

最近、再び落語人気が復活し、評判の噺家の落語会や一門会ともなるとチケットも即日完売と言うこともしばしばである。それでも、寄席などはまだ、ふらりと出掛けて空いている席に腰掛け、好きな師匠の落語や漫談などを気軽に楽しめるので、大変身近な娯楽で…

54. 冬だって生は旨い。ランチョンのカキフライも待っている。

旨い生ビールなるものは一年中飲みたい次第だ。銀座に居れば中央通りの「ライオン銀座7丁目店」にて名人海老原さんの注ぐサッポロ生が飲みたい。新橋ならば「ビアライゼ‘98」の松尾光平さんのアサヒ生、新宿に居れば小田急ハルクの地下に在る「新宿ミュン…

53.寒い季節、井上蒲鉾店のかまくら風味おでんで一献つけたい。

蒲鉾の歴史は古い。功皇后が三韓渡航の途中、神戸生田の杜で鉾の先に魚肉をすりつぶしたものを塗り付けて焼いたものが最初であると伝えられている。また、「類聚雑要抄(るいじゅうぞうようしょう)」と云う平安時代の古文書の中に、貴族たちの祝賀料理の献…

52.イノダコーヒが東京進出。あのミルク珈琲がいつでも味わえる。

♪三条へ行かなくちゃ。三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね♪ お馴染み、高田渡が唄った「珈琲不演唱」(コーヒーブルース)の一節だが、やはり京都の朝は「イノダコーヒ」のブレンドを飲まなくては始まらない。 僕は今から三十年程前、札幌の高校の修学旅…

51.歌舞伎座の太鼓が聞こえる木挽町、割烹おさきの料理に舌鼓。

宝町と新富町の間に位置する京橋プラザに巨大な石が五つ積み上げられている処が在る。これは、慶長17年に開削された「三十間堀」の護岸跡から発掘された河岸護岸の石垣で、その石が植え込みに利用されているのだ。ここの東側一帯から歌舞伎座の裏手辺りま…

50.美しい京都の四季をお茶と共に愉しむ「ますね」の干菓子。

晩秋から冬にかけての京都は町全体が美しい。京都駅を出たら、のんびりと東福寺まで散策したい。臥雲橋より通天橋を望む景色には思わず息を呑む。真っ赤な楓が海のように広がっているのだ。見事な楓とモミジの紅葉見物の後は、雪舟寺の茶室にある円窓から望…

49.池袋北口の永利で観光地には無いディープ中華を堪能。

池袋北口はディープ・チャイナタウンだ。横浜中華街に在るような上品な中華ではない。中華街の各入口門に構えるような牌楼もなければ、華やかな中国彩色を醸し出すものも何も無い。ただ、この界隈には様々な地方の中華料理を味わう事が出来る食の穴場である…

48.素朴な笹だんごの味は、今でもずっと古里お袋の味がする。

新潟に住む従兄弟から今年も新米と共に大好きな笹だんごが送られてきた。田舎の手作りの味だが、町で売られている団子顔負けな程旨いのだ。 新潟地方では、古くから戦国武将、上杉謙信が兵糧として中国のちまきを真似て造らせたと伝えられている。 新潟越後…

47.野口英世一枚で酔える富士屋本店はオヤジたちのオアシスだ。

JR渋谷駅から246を渡り線路と桜ヶ丘の間の道を入った処に「富士屋本店」の看板が出ている。夕方6時を廻れば、人と人の隙間を縫って入らなくてはならないほどだ。 どの肴も150円からなので毎日晩酌したい輩には、懐に大変嬉しい店である。たまに350円の料…

46. 出雲の天満屋の小倉最中。可愛い子豚のしっぽの虜になる。

島根県雲南市三刀屋町に生まれた医学博士、永井隆は長崎医大の助教授時代に被爆する。自らも原爆症と戦いながら多くの被爆者救護活動を続けた。白血病に侵され、床に伏せた博士は、ベッドの中で多くの小説や随筆、絵画、和歌などを発表する。「この子を残し…

45.足袋の街行田を散歩したら、土産に煎屋のまめたびは如何かな。

利根川の近く、埼玉県行田に「水城公園」が在る。戦国時代、忍城(おしじょう)が石田三成に水攻めを受けたが落城せず、この城は水に浮くのかと恐れられたと云う言い伝えがある。戦国時代を耐え抜いた忍城は残念ながら明治維新の際に取り壊されてしまったが…

44.晩秋の昇仙峡めぐり。小作のほうとうで暖を取る。

新宿から特急あずさに乗り1時間20分で甲府に着く。山梨、甲府駅からバスに乗り30分程で昇仙峡入口へ。「御岳昇仙峡」は全長5キロ程の渓谷で、澄んだ清流には岩魚や山女が泳いでいる。永い時を経て、水流により花崗岩が削られており、随所に「とうふ岩」、…