168.大阪阿倍野の「明治屋」は昼と夜の間をたゆたう蝶の止まり木だ。

明治屋

 落語を聴いていても、関東と関西では可成り根本的な考え方が違うようだ。先日、文珍師匠の噺を聴いた。電車に乗っても東京は「痴漢させない!許さない!」である。これが、大阪では「痴漢、アカン!」となり、やる方に向いている。問いかけるべき相手が既に逆なのだネ。こんなマクラから入るので、文珍落語は逃せない。
 仕事で大阪に行く機会も多いので、打ち合わせを早々に切り上げると天満宮近くに出来た「天満天神繁昌亭」で上方落語を楽しみ、南森町から市営線に乗って天王寺へ出る。まだ開館して三年とは思えない賑わいぶりに驚かされる。
 駅前から阿倍野筋へ向かう通りは道路拡張工事が進み、辺りはどんどんと更地になっている。そのど真ん中で、変わらぬ佇まいを残している居酒屋が在る。昭和13年創業の「明治屋」はガラリと戸を開けた途端に酒呑みの憩いの安堵感に誘われる。
 暑い夏の午後は、先ず黒のスタウトビールで一気に乾いた喉を潤す。そして、すぐ酒を戴くのだ。店の真ん中にでんと置かれた樽から松竹海老を戴く。これは、夏でも燗酒にした方が良い。アテのきずしとの相性がすこぶる良いのだから。店自慢の全国の銘酒も沢山揃えてあるので、冷酒を戴くも良し。それでも、最後はシュウマイをアテに菊正宗か灘の松竹海老に戻るのだ。
 此処は午後一時から暖簾が下がるが、四時頃が一番好きな時間だ。口開けの御常連たちが帰り、のんびりとした昼酒を愉しめる。店の方々も酒呑みにはとても優しいのだ。程よく酒に酔い、「また来るよ」と声を掛け、外に出る。空の色が薄いえんじ紫に移ろいでいる時が、新世界に消える夜の蝶には丁度良い頃合いなのである。
明治屋 大阪市阿倍野区阿倍野筋2-5-4
06-6641-5280

167.陽暮れ前に兵六で呑む。漸く此処が馴染む歳になったか。

兵六提灯

 社会に出てまだ間もない頃、先輩に連れられて八重洲の小さなビアホールを訪れた。八十年代の前半だっただろうか。当時、背伸びばかりしていた僕は流行りのバーやレストラン等ばかりに目を向けて老舗と呼ばれる店に足を踏み入れる事など無かった頃だ。それでも、あのきめ細かい泡の生ビールの味は今でも忘れない。
 数杯のビールを呑み干し、大手町から電車に乗り神保町へと向かった。僕よりひとまわり上の先輩が、「此処は俺でも最年少かもしれんナ」と暖簾を潜ったのが「兵六」だった。そんな処に若造が馴染む筈が無い。只々、緊張し一体何を呑み、何を語ったかまるで覚えていないのだ。
 あれから二十五年が経ち、友人と再び此処で呑んだ。当時の店主の姿は無く、今は三代目が店を守って居る。店の様子は当時と何一つ変わっていないのだが、あのピンと張りつめた空気などまるで感じられなかった。そうか、やっと僕が此処に追いついたのだナ。戦後から六十余年続く酒場は薩摩出身の先代の心意気がそのまま引き継がれている。酒は焼酎「薩摩無双」の燗が主力だ。そして、遠く上海の地で覚えた餃子と焼きそばが実に良く酒に合う。
 それでも若い輩には、此の独特な雰囲気に一瞬緊張するかもしれない。先代、平山一郎氏が作った「兵六憲法」が、今も店主と客との間に無言で保たれているからだ。ちょいと羽目を外したり、乱酔しようものなら、三代目店主、柴山真人さんの激が飛ぶ。だが、気持ち良く酔っぱらうのは大歓迎なのである。
 電話無し、冷暖房も無し。で、あるからに夏は大変暑い。開け放たれた窓や玄関から時折流れて来る風に癒されて、呑む酒は格別に美味い。そして、初代譲りの〈炒豆腐(ちゃーどうふ)一丁!〉の声で酒が呑みたくて、今宵も暖簾を潜るのである。
兵六 千代田区神田神保町1-3-20
電話無し

166.「牛めし げんき」で昭和の懐かしい味を頬張る。

牛めしげんき

 今から数十年前、新橋烏森口をSL広場からちょいと入った処に「かめちゃぶ」と云うすき焼き屋が在った。此処は23時間営業で掃除の時間以外開いており、当時20代の働き盛りには重宝する店だった。コの字の大きなカウンターには一人毎ガスコンロが据え付けられており、一人すき焼きを味わう事が出来た。たしか、7、800円ですき焼き定食が喰えて、50円足せば卵が付いて来たと思う。
 随分前に叔父貴から「かめちゃぶ」とは犬の飯の事だと聞いたことがある。ご飯に味噌汁をぶっかけるのが「猫まんま」で、夕飯のおかずの残り物をご飯にかけたのを「かめちゃぶ」と云ったそうだ。外人が犬を呼ぶ時に「カム、カム!」と呼び、カムの飯でかめちゃぶなんだとか。ちゃぶ台の「ちゃぶ」とは飯のことか。終戦後の闇市が栄えた時代、屋台で煮込みを飯にかけて売っていたそうだが、これが大層人気があったらしい。定かでは無いが、これが今の牛丼の原型なのだろうか。
 その「かめちゃぶ」が無くなって久しいが、その流れを受け継いで今も変わらぬ牛めしを提供している「牛めし げんき」が新橋ガード下に在る。かめちゃぶ時代の味を守り、しっかりと割り下の味が滲み込んだ豆腐とネギと蒟蒻、そして牛肉だ。豆腐やこんにゃくが入っている辺りが、チェーン店の「牛丼」とは一線を画す処だ。 
 牛めしは庶民のすき焼きぶっかけ飯なのだ。いつでもツユだくで、ちょいと甘めな味付けも昭和の味である。小さなコの字カウンターは10人も入れば一杯だが、ひっきりなしにお客さんが出入りする。飯の代わりにそばやうどんも有るので、その日の気分で変えてみるのも良い。
 忙しい毎日の腹ごしらえに、此処の牛めしで元気をもらおう。但し、店員に元気さは期待せぬように。
牛めし げんき 港区新橋2-17-35
03-3571-6827

165.「せんべろ」、実に良い響きだ。魚三酒場で今宵も悦に入る。

魚三酒場

 かつて、故中島らも氏が「せんべろ探偵が行く」と云う本を出した。かれこれ、5、6年前に出たものだが、全編をらもさんが書いていた訳じゃなかったので、余り満足のいく内容じゃなかったが、それでも十条の斉藤酒場と北千住の大橋が登場していた事だけは当時としては嬉しい限りだった。
 さて、その「せんべろ」だが、千円札一枚でベロベロに酔える店って事なのだ。そして、せんべろの店は、こよなく一人酒大歓迎の酒場なのだ。斉藤酒場に毎晩の様にやってくる親爺は何を頼んでも、おもむろにジャンパーのポケットからマイ味の素を取り出して、チャッチャっと振りかけ、一人悦に入りながら、アテを摘みひや酒を呑む。実に愉しい光景だ。こっちもニヤりとしながら一人酒なのでアル。
 東京は広い。それ故にせんべろな酒場に沢山出会えるのだ。渋谷の富士屋本店、立石の宇ち多”、赤羽のいこい、武蔵小山の牛太郎、荻窪のやきや辺りは実に心和む勤労者の為の酒場だろうか。そんな懐に優しい酒場の中で、新鮮な魚介を提供しながらも、せんべろな名店が昔から門前仲町に在るのだ。
 深川不動の赤門に程近い処に店を構える「魚三酒場」は、午後3時半を廻ると徐々に人が並び出すのだ。4時開店の時には数十人の行列が出来ており、広い店内が一気に埋まってしまう。皆の目当ては名物マグロぶつだろう。230円と云う安さなのに飛びきり新鮮で美味いのだ。あら煮50円も目からウロコな嬉しい価格設定だ。
 安くて美味い極上の魚をアテに呑む酒も一杯180円なのだから当然1000円札一枚で十分愉しめる酒場なのである。暖簾が下がると同時に皆がどっと席に着く姿も実に微笑ましい。此処は上の座敷も広いので大勢でも楽しめるが、一、二階のカウンター席で一人酒を楽しむと良い。きっと毎日、並んででも通いたくなる気持ちが判ることだろう。
魚三酒場 江東区富岡1-5-4
03-3641-8071

164. 渋谷百軒店、喜楽のもやしそばに30年の日々を想う。

喜楽もやしそば

 今も毎日の様に仕事が終わると渋谷辺りに繰り出して、何処かのバーの止まり木で呑んだくれている。高校卒業後、札幌から上京して来て、かれこれ30年もの時が経った事になる。
 思えば、あの頃は健全な日々を送っていたのかな。大学の講義もそこそこにアルバイトに精を出し、東急東横店の寝具売り場で贈答品の包装作業に明け暮れていた。バイトが終わると、古着屋やレコードショップ、輸入雑貨店などを廻って、掘り出し物を漁っていた。遮二無二働いて稼いだバイト代は、殆どが洋服かレコードに消えて行った。良い品をゲットすると、自慢気にNHK裏の珈琲店「ZOO」へ披露しに行ったものだ。英国FOX社の洋傘をセールで見つけて、飛び上がる程喜んだり、ミウラ&サンズでSmith社のペインターパンツを安価で手に入れたりして自慢していた。
 道玄坂界隈や恋文横丁辺りも当時とすっかり様変わりして仕舞った。時偶(ときたま)思い出した様に散策する事がある。今も台湾料理の麗郷は健在だが、その近くに在ったカスミコーヒー、フレッシュマンベーカリーはヤマダ電気に変わろうとしている。百軒店も餃子の大芽園、ロック喫茶のブラックホークなど好きな店が沢山軒を連ねていたが、今じゃ数える程になって仕舞った。
 それでも「喜楽」は健在だ。学生の頃は昭和の香りを残した木造二階建てだったが、今は小さなビルに建て直した。一階のカウンター席に着くと、30年前と同じチョビ髭のあんちゃんがラーメンを作っている。焦がし葱が効いたもやしそばをひと口頬張れば、あの頃の日々が蘇って来る。
 この30年間で大きく変わった事と云えば、珈琲が酒に変わった事くらいだろうか。
中華麺 喜楽 渋谷区道玄坂2-17-6
03-3461-2032

163. 30秒で揚がる牛かつは、数十分待ってでも食べたい味だ。

牛かつ おか田

 ニュー新橋ビルは、実に不思議な処だ。郵便局やチケットショップ、文房具店やスピード印刷の名刺屋に交じって、何故か風俗店や怪しげな緊縛グッズやDVD等を販売している専門店なども密集しているのだ。まさに新橋サラリーマンのメッカの雑居ビルの地下一階は居酒屋や食事処がゲーセンと共に共存している。
 そのゲーセンの向かい側、お昼時になると行列を作る店が在る。「30秒で揚がります」がキャッチフレーズになっている「牛かつ おか田」だ。数年前までは、ふらりと立ち寄っても入れたのだが、最近は最低でも20分程は待つ覚悟で望まなければならなくなった。とんかつでは無く、牛かつは生でも十分食べれる牛肉に、串揚げに使用する様な細かいパン粉を付けてカラッと揚げてある。本当に30秒しか揚げておらず、後はその余熱で中の赤い牛肉が徐々に薄紅色に変化してくるのだ。
 一口、口の中に入れれば思わず「美味い!」と唸って仕舞うだろう。カツなのに「牛のたたき」の様な食感なのだ。仕事帰りの夕方には、山葵を乗せて生醤油で食べてみれば、ビールが進むのだ。半分程、酒のアテとして味わった後は、ご飯と味噌汁でやっつけてみて欲しい。きっと、また訪れたくなるだろう。
 お昼時には、牛ロースソースかつ丼が良い。ご飯の上にたんまりと千切りキャ別が盛られ、その上に牛カツが乗り、ソースとマヨネーズがたっぷりとかかっているのだ。これは、ソースカツ丼お好み焼きと牛のたたきが三位一体になった様な不思議な味わいなのだが、ボリュームも有り病み付く一品だ。黙々とカツを揚げるご主人と共に店を切り盛りする女将さんの可愛い笑顔もまた、元気をくれる名店だ。
牛かつ おか田 港区新橋2-16-1 ニュー新橋ビルB1
03-3502-0883

162. 不忍池の畔、蓮の花に囲まれて月光をぐいと飲み干す。

蓮見茶屋

 上野不忍池の畔、今年の夏もまた「蓮見茶屋」が始まっている。仄かな灯りに照らされた蓮の花を眺めながら、冷酒を一献つけるのだ。水面から吹く心地良い涼風に和み、盃に映る月の灯りをぐいと呑む。
 毎年、京都のお盆では大文字焼きの行事が催されが、この「大文字(五山)の送り火」の灯りを頼りに、ご先祖様が冥途へ帰るのだそうだ。昔から、この明りを盃の酒に映し、願い事をしながら呑み干すと願いが叶うと云う「言い伝え」がある。京都までは行けないが、幻想的な蓮の花を照らす月明りを大文字に見立てて、呑んでみるのも粋だろう。
 此処は東京都と台東区が協力し運営しているそうだが、店に入ると石原慎太郎都知事の書いた「蓮見茶屋」の額が掛けられていた。都知事も毎年必ず立ち寄るそうだ。中では一文百円の木札が用いられる。千円の十文札を貰い、酒と特製蓮見弁当のセットを戴くのだ。酒は冷酒の一合徳利や生ビールのジョッキ出し、特製弁当も蓮根をふんだんに使った松花堂弁当風の逸品で、これが酒に合う。酒の肴もえいひれ、板わさ、合鴨薫製などと豊富だし、本日の銘酒もあるのだ。この夜も出羽桜の吟醸酒麦焼酎のとっぺんだった。これ全て五文なので、ワンコイン酒場ってな具合だね。
 畔に突き出た桟敷席で眺める蓮の群生は見事だ。早朝にポンと咲く花も素晴らしいが、今にも咲きそうな蕾みたちも実に美しい姿をしている。蓮の花の向こうには光り輝く弁天堂や五重の塔の遠景も美しい。
 9月末までの間、午後5時から9時まで営業しているので、存分に楽しめる。また、毎晩午後6時には江戸芸や落語、講談などの演芸も催されるので、大いに酒が進むのである。もちろん、昼から抹茶に和菓子等もあるので、たっぷりと江戸情緒を味わってみると良い。
蓮見茶屋 上野公園野外ステージ(水上音楽堂)前
03-3833-0030