23. 寿司は兎に角「握り」という御仁に、鮨たなべは薦めない。

寿司たなべ

 行きつけのすし屋と云うのは、如何に居心地が良いかに尽きるのではないか。それ故に皆が此処が美味い彼処が良いと言い、様々な店を知るのであろう。ネタの良さは云うまでもないが、仕事の仕方は酢で〆めたり、煮たり、醤油漬けにした江戸前寿司から鮮魚本来の生の味を楽しむ明治以降の握りといろいろ有る。
 目黒の水道局近く、実にへんぴな場所に在りながらファンが多い「鮨 たなべ」は、僕の贔屓のすし屋で或る。この店は全国から美味い魚を探して仕入れている。訪れる度に旬の魚がご主人の手にかかり、更に美味さに磨きがかかる。こりゃぁ、古典落語を熟練の技で自分のモノにしてしまう扇橋師や権太楼師のようである。
 冷えたビールを先ず一杯嗜むと最初は小鉢が次々とカウンターに乗る。岩海苔、ピーナツ豆腐、穴子の刺身とお馴染みの一品にもう頬が緩む。真あじの自家製干物も好し、鯛のがごめ昆布〆も美味。秋になれば松茸の土瓶蒸しも酒がすすむ。
日本酒も料理に合うものを六種類程度用意しているのが嬉しい。こちらも小鉢同様にグラスが空けば、次々と違う酒にしてくれる。先ずは宮城の一ノ蔵、次に富山の立山、続いて金沢の純米酒加賀鳶、兵庫の純米奥播磨といった塩梅だ。
 開店以来、馴染み客を虜にしている名物が「鮟肝の飛び卵和え」と「バラちらしの小どんぶり」である。どちらも食感が楽しく、口一杯に広がる味が奥深い。どの皿もご主人の生み出した逸品で、実際これを目当てに通う客が多いのだ。
 これでもか、と云わんばかりに小鉢が出ると、いよいよ握りになる。余程腹を空かしてこないと握りまで辿り着かないのではと思う程だ。鮨は兎に角「握りだ」と云う向きには、ここは薦めない。じっくりと美味い酒、それに合う最高の魚料理を味わいたいと云う方々の「行きつけの店」になれば良い。
鮨たなべ 目黒区中町2-44-15
03-3792-5855