36.尾花で鰻を待つ。こんな「幸せな時間」は無い。

尾花

 江戸時代に鰻と云えば、深川か日本橋界隈と決まっていた。嘉永元年に刊行された「江戸酒飯手引」なる綴り本には、懐石料理、日本料理併せて240軒、茶漬見世22軒、うなぎ屋90軒、鮨屋96軒、蕎麦屋120軒と出ており、江戸っ子達の間でも鰻は相当人気だった事が伺える。
 東京湾の鰻を江戸前と称し、利根川手賀沼の3カ所で獲れる鰻を本場の江戸前鰻と云って庶民に愛されていたそうだ。中でも普通の鰻の倍位に大きい目方の鰻を「ボッカ」と呼んだ。木の杭、ぼっくい程にデカいのでこう呼ばれたのだろう。ボッカ鰻は11月頃が「下くだり」と云い一番旨い時期だそうだ。今では中々天然物のボッカ鰻は入りにくくなっているであろうが、南千住の「尾花」は、昔からこのボッカ鰻が評判の名店だ。大人の腕くらい太い鰻の蒲焼きは、見た目も凄いが江戸っ子は「鰻はこれじゃないと」という贔屓(ひいき)が多かったと聞く。
 深川でも日本橋でも無く、随分とヘンピな場所に在りながら、いつも昼時は長蛇の列を作っている。暖簾をくぐると畳敷きの大広間には小さな卓袱台が幾つも並べられており、入れ込み式なので皆分け隔てなく鎮座する。実に庶民的な鰻屋なのだ。その後ろはガラス張りで、鰻を捌き、焼く光景を眺める事が出来る。 
 尾花では注文が入ってから鰻を捌くので、ゆっくりと待たなければならない。そして天然ものを知り尽くしているだけに、それ以上に旨い養殖鰻を味わえる。うざくやう巻きを肴にのんびりと酒を呑み待つのも良し、近所をふらり散策をして戻ってくるのも良し。近くには「ねずみ小僧次郎吉の墓」や杉田玄白の「解体新書」の石碑なども在る。3,40分もすればふっくらと柔らかい鰻重が運ばれて来るのだ。鰻も人それぞれ好みがあるので、パリッと焼かれた方が好きと云う方も居るであろうが、尾花の鰻は兎に角柔らかい。いったい、どう焼けばこんなにふんわりと仕上がるのだろうか。この鰻を待つ時間ほど「あぁ、幸せが待ち遠しい」と想うのである。
尾花 荒川区南千住5−33−1
03−3801−4670