10.栄坊のバンタン呑んで昭和を想う。

栄坊のバンタン

 或る時、かむろ坂下の赤ちょうちんに「元祖バンタン」と書いてあるを見つけた。この店も良い塩梅の居酒屋だが、そこで出す酎ハイがバンタンと呼ばれていたのだ。サワーの発祥は「もつ焼き ばん」だが、「バンタン」は謎である。
 それから暫くの間、はて「バンタン」とは何だろうと色々と調べていたら漸く吉行淳之介が編者を務めた酒の随筆集「また酒中日記」の中で発見したのだ。今は亡き漫画家の滝田ゆう氏が昭和46年に書いた「わらい酒」に登場した。大鳥神社そばの漫画出版社に原稿を届けて、原稿料が手に入ると滝田さんはまっしぐらに『栄坊』に走っていき、バンタンを呑んだそうだ。そこには、こう記してある。
 バンタンというのは焼酎のタンサン割りつまりチューハイのことで、バンとは瞼の母のバンバのチュータローのバンであり、タンはそのままタンサンの略、酎だけほしいときは「バン一丁ォ〜」とこうなる。
 すなわち、『栄坊』の先代ご主人が酎ハイのことをバンタンと呼んだそうだ。目黒駅前にまだ屋台が多く出ていた頃、労働者や学生たちに人気の屋台が権ノ助坂呑み屋横丁に『栄坊』は在った。昭和28年創業だ。当時は日本酒やビールが高い頃なので、値の安い焼酎を出していたそうだ。この辺りで安い焼酎を出している屋台は少なかったらしい。
 今から10数年前に呑み屋横丁もビルになり、『栄坊』はビルの地下に入った。今は二代目のご主人も亡くなり、そのお内儀が息子の嫁と二人で切り盛りしている。そして変わらず「バンタン」と云えば、酎ハイが出て来るのだ。
 小綺麗な店内には、毎日築地から仕入れる新鮮な旬の野菜や魚介が並んでいる。「ふぐ皮の煮こごり」は酒の肴に最適だ。腹が減っていれば「お好み焼き」や「いかワタのホイル焼き」も実に美味い。お内儀さんにワガママ言って残ったイカのワタで作ってもらう「おじや」は言うこと無しのおふくろの味である。
 それにしても、今どきの諸君は「瞼の母」などを知っているのだろうか。
酒と肴 栄坊 品川区上大崎2-27-1サンフェリスタ目黒B1
03-3494-1586